2011年6月12日日曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉を見てきました。かっこいい映画でしたよ。「映画」がね、かっこいい。


今日は、嫁さんと「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」を見てきましたよ。今、話題ですからね。ってか、嫁さんが好きなので。このパイレーツシリーズ、前作も映画館で見たんですが、いまいちよく話が理解できないんです。

それは、おそらく、キャラ設定と人間関係の模様、それによる思惑が見えていないからだと思います。興味がある人は、そういう設定の中での、やりとりを楽しみつつ、冒険的な要素も含めて、そして所どこに交じってくる笑いの要素も相まって、楽しいんでしょうな。

僕は、ジョニーの服装がかっこいい!メイク素敵!そんなレベルでの見方しかしていないし、する気もないし、それぞれのキャラ設定を理解するために頭を使うのも疲れるので、ただそうやって見ていました(1200円払う価値あるのかって?まぁまぁ、それは言わんでください)

で、今回は「生命の泉」ってのがテーマで、それを取ったもんが「あがり」という話です。聖杯が2つあって、ひとつの聖杯に人魚の涙を入れる。涙の入ったほうの水を飲んだ人が、入ってないほうの水を飲んだ人の寿命を頂けるという、ありがたいお話です。

観ていて面白かったのが、ジョニー・デップが、まったくテーマにそった動きをしてくれないこと。ジョニー・デップは、その寿命の延びる水に興味がないんですよ。ここには哲学的な意味が、込められているように思います。

つまり、寿命が延びることは、ジャックにとって宝物ではないわけですよ。これって、素敵なことだと思うわけです。限りがあるからこそ、貴重だという、そういうことをジャックはよくわかってるんですな。

言葉にすると「何を当たり前のことを。そんなの別にかっこよいか?」って感じに自分も思いますが、まぁ、それは、海賊がテーマで、海賊は下品でなんでもほしがるというイメージや、冒険ストーリーと笑いの要素がふんだんにある映画の中で、垣間見る部分だから、なおさらそう思うのかもしれません。けど、基本的に、「生命の泉」がテーマなわけですよ。永遠の命がテーマです。だから、それをみんなでおってるのかというと、そうじゃなくって、ふたを開けたら、ジャックは「んなもん、いらね」って姿勢だったという。このテーマ設定に対する、裏切り方が、映画としても素敵だとは思うのです。

で、この記事の最初にのせたポスターを見てみてください。「“永遠”なんて、くれてやる」ですからね。そういう意味ですな。